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ゴッホ、モネ、ルノアール、フェルメール、ダヴィンチ、クリムト、セザンヌ、モディリアーニ・・・等の、誰もが知っている巨匠の有名絵画を画像つきで解説していきます。ブログで楽しむ有名絵画(アート)の美術館。アートを気軽に楽しんでください♪
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レンブラントの作品って、本当にレンブラント作?
絵画ファンの皆さま、こんにちは!
今日のテーマは「レンブラント」です。

レンブラントって、生涯描いた作品数が1000枚以上とされており
過去の画家の中でも多く作品を残した画家のひとりです。

レンブラントは画家というよりも商売人としても成功しており、
自身のアトリエを経営し、そこに弟子を何人もかかえ、皆で絵画制作をしていたそうです。

沢山の絵画制作依頼が舞い込み、それを弟子画家たちと処理していく。
まるで工場ですよね。

そうやって沢山の作品を描き残していたレンブラントなので、
ある問題が生じてきます。

それは「本当にレンブラントが描いたのか?」ということ。
実は弟子がほとんど描いて、最後のサインだけレンブラントがして、完成させた
という噂もありました。

実のところわざとそういった風にごまかそうとしたのではなく、
実際に弟子が描いたのかレンブラント自身が描いたのかハッキリしない作品というのは多数表れてきたのです。

レンブラント アトリエの画家
レンブラントアトリエの画家


最初はレンブラント自身の作品だと思われていた作品も、次第に研究が進むに連れて
実は弟子が描いた作品だった、と訂正が入ることもしばしば。

なので美術館が図録等ではレンブラント作と紹介されていた作品が、
急になくなるといった自体もあるのです。

私が今年始めに六本木で開催されていた「フェルメールとレンブラント展」を訪れた際も
そういう作品が展示されていました。

1000枚以上描いているレンブラントなので、実際には誰が描いたか分からない
という作品もあって仕方ない思います。
その真偽のほどを探っていくのも面白みの一つですよね。

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題名から勘違い!?レンブラントの気になっている作品
絵画ファンの皆さま、こんにちは!
今日は前から少し気になっていた事をシェアさせて頂きたいと思います。
まずは作品をご覧頂きましょう。

テュルプ博士の解剖学講義 レンブラント
レンブラントテュルプ博士の解剖学講義
原画サイズ:216.5cm×169.5cm
所蔵:マウリッツハイス美術館
制作年:1632年

この作品、ニコラス・テュルプ博士という人が他の医師たちに解剖学の講義をしている場面、として伝えられていますが
実はこれは講義ではなかった、という説を聞いたことがあります。

題名だけ観ると、大学の講義のように授業が行われているかのような気がしますが
実は講義ではなくて単なる発表イベントのような位置づけだった?そうです。

当時のオランダでは、年に一度解剖学の講義をイベントのように開催していました。
医師ではない人も描かれているのだとか。

この作品の舞台はオランダで、解剖の様子を描いたものということは間違いなさそうですが
実際にこうやって解剖していくのだよという講義をしている様子ではなく、
みんなで集まるイベントの様子を肖像画で描いた、という方が正しいとされています。

小さな違いかもしれませんが、タイトルに惑わされやすい事が多いので気をつけたいなと思いますね。
もっともっと、その絵画の描かれた時代背景とか歴史とかも学んで行かなければいけませんね!


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レンブラントの「夜警」から見る不思議
絵画ファンの皆さま、こんにちは!
今日は前回の続き、レンブラントの夜警にまつわる疑問などをお伝えします。

ーーーーーーーーーーーーーー
レンブラント・ファン・レイン
1606年-1669年
オランダ出身
ーーーーーーーーーーーーーー


夜警 レンブラント
レンブラント夜警
サイズ:363×437cm
制作年:1642年
所蔵:アムステルダム国立美術館

レンブラントは、当時流行した集団肖像画をよく描きました。
前回の記事でも紹介した通り、集団肖像画の制作費は描かれた人の各人で割り勘をしていました。
その為、描かれる面積や大きさは均等で平等でなければいけませんでした。

しかしレンブラントに限ってはその暗黙の了解を破る個性を発揮。
平等でなければいけない顔の面積が、他の人の腕によって隠されて描かれている!
着ている服のレベルが明らかに違う!
作品の中で目立っている人とそうでない人が明らかだ!

などなど、普通ではない集団肖像画の描き方をしていました。

比較のため、他の画家が描いた集団肖像画を見てみましょうか。
ヘルスト ビッガー隊長とその団員
ヘルスト【ビッガー隊長とその団員】

みーんな平等ですよね。
レンブラントの作品に比べて躍動感に欠ける・・・
見てすぐわかります。

このあまりにも有名な「夜警」を描いたあと、レンブラントの人生は転落していくのです・・・
まずは妻アスキアが亡くなります。
その後付き合った女性から婚約不履行で訴えられます。
さらに内縁の妻との子供が生まれた後に破産してしまうのです。
最終的に亡くなったときには、共同墓地に埋葬されたという
夜警以降の転落人生は驚くものがあります。


それでも画家として作品を描き続けた事は、やはり画家としての誇りでしょうね。
そしてその転落人生の方が人生経験を存分に作品に乗せることができて
より作品に味が出たという評論家の意見もあります。

レンブラントの画家としてのポリシーは「過去の画家と同じものは作らない」だそうです。
同じような表現を取り入れて描くことはしない。
だからこそオリジナルのものが生まれる。
それが画家としてのこだわりだったのでしょうね。

後にも先にもいない、個性的な画家レンブラントでした。



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レンブラントの「夜警」って正式名称が違った件!
絵画ファンの皆さま、こんにちは!
今日はバロック期の巨匠レンブラントに関してです。

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レンブラント・ファン・レイン
1606年-1669年
オランダ出身
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夜警 レンブラント
レンブラント夜警
サイズ:363×437cm
制作年:1642年
所蔵:アムステルダム国立美術館

レンブラントの作品の中でも最も有名だろうと思われる作品「夜警」
この細かく描き込まれた作品の美しさは目を見張るものがあります。
漆黒の暗い闇の中に浮かび上がる隊員たち。

でも実は、これは「夜を描いた作品ではなかった!」そうなのです。
昼間の光景を描いたにもかかわらず、上に塗られた保護用にニスの変色によって暗く見えていただけだそうです。
なんとも驚き!!!!
「夜警」ってタイトルが付いているじゃないですか!!

これは私だけの勘違いではなかったようです。
長年、同じように考えられていましたが、第二次世界大戦後の調査で新事実が判明したそうです。

ちなみに本作の正式名称は「市警備隊バニング・コック隊の集合」だそうです。
さらにWikipediaによると、日本語訳は
『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』となっています。
とにかくながーい名前になっています・・・


さらにこの絵に限らずですが、当時のオランダで流行していたこのような集団の肖像画における”ルール”ですが、
「全員の顔の大きさを同じサイズに描くこと」だそうです。

というのも、集団の肖像画はそこに描かれている人全員で制作費を”割り勘”にしていたそうです!
その為、各人の顔の大きさは均等でないと不平等だ、ということだそうです。

この点から言うと本作に関しては、顔の大きさは各人同じですが、
着ている服や体の動きなどに違いがあります。
目立ち気味の人もいれば、抑えめな人もいる。
その点では批判を受けたそうです。
でもまぁ全員全く同じに描く事は出来ませんからね〜仕方ない事だと思いますが。


長くなりそうなので、続きは次の記事で書きますね!

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レンブラントの愛した妻サスキアは幸運の女神だった
こんにちは!!

昨日はルーベンスの夫婦愛についての特集記事を書きました。
今日は、ルーベンスに引き続き、同じバロック期の画家「レンブラント」に迫ってみたいと思います!

レンブラントといえば「光と陰」!!
作品の中に光と陰のコントラストの表現を上手く取り入れて描いた画家です。
先に作品をひとつ紹介してしまいますと・・・「夜警

夜警 レンブラント アート名画館

レンブラント夜警
制作;1642年
原画サイズ:363 cm × 437 cm
所蔵:アムステルダム国立美術館


この作品をみてください!
真っ黒な世界の中に、中央の人物に当たるスポットライトのような光が浮かび上がります。
これがレンブラントが作り出す”光の魔術”なのです。
光の魔術師、ですよね〜ほんとに。

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レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン
1606年 ネーデルランド(現 オランダ)
バロック期
ーーーーーーーーーー

肖像画を多く描き、若い頃から名声を高めていたレンブラント。
レンブラントの描く肖像画は、描かれている人物にポッとスポットライトが当たっているように見えるのです。
描き方の加減で、このように光を当てられるなんて素晴らしい技術ですよね。

現オランダのネーデルラントに生まれたレンブラント。
勤勉な両親はレンブラントに幼い頃からラテン語を勉強させました。
そして法律家になってほしいという希望のもと、レンブラントを大学へ行かせました。
なんと14歳のときの話です。飛び級で大学へ行く誘いを受けました。

大学に入ったレンブラント少年。しかしながらレンブラント本人は全く法律に興味がなく、
大学を数ヶ月で辞めて、その後画家になる勉強を始めました。
スヴァーネンブルフという歴史画家に弟子入りして絵画を3年間程学びました。
当時18歳だったレンブラント。すでに技術をしっかりと習得し、評判を得ていました。
さらに高みを目指し、当時アムステルダムでとっても有名な画家だったピーテル・ラストマンに師事しました。
19歳の頃にはひとりの画家としてデビューを果たします。
22歳に頃には自身も弟子を持つようにまでなりました。
指導者となったレンブラント。引続き自身の作品制作は続きます。

一度はアムステルダムから地元に戻っていたレンブラント。
1630年、レンブラント24歳の頃。父親が亡くなったことで転機が訪れます。
もう一度アムステルダムに出ることに決めました。

アイレンブルフという画家がアムステルダムに工房を持っていて
そこで肖像画家として働き出します。

1632年に受けた仕事が、レンブラントに大きな転機をもたらしました。
医師が解剖学の講義を行う様子を描くという仕事です。
レンブラントは解剖学の講義風景を描きました。
テュルプ博士の解剖学講義 レンブラント

こうして出来た作品が「テュルプ博士の解剖学講義」です。
これが話題となり、若くして一躍有名画家となりました。

1633年、27歳のとき結婚が訪れます(*≧∪≦)
お相手は当時間借りをしていたアイレンブルフの家の親戚の子サスキア・ファン・アイレンブルフでした。
アイレンブルフ家は裕福だったため、レンブラントはそのおかげで画家としても地位を上げていきました。
同時にレンブラントは資産も手に入れました。

レンブラントは妻サスキアをとても愛しました。
そして彼が描く作品の中にもたくさん描き残しました。

1635年、結婚から2年後には、間借りしていたアイレンブルフの家を出て、自身でアトリエを持つようにまで成功をおさめました。

妻サスキアをモチーフにして描いた作品はこちら↓

フローラに扮したサスキア レンブラント

レンブラント春の女神フローラに扮したサスキア
制作年:1634年
原画サイズ:125×101cm
所蔵:エルミタージュ美術館


レンブラント アルテミシア

レンブラントアルテミシア
制作年:1634年
原画サイズ:142×152cm
所蔵:プラド美術館

酒場のレンブラントとサスキア レンブラント

レンブラント酒場のレンブラントとサスキア


しかしながら、この頃のレンブラントは大きなアトリエを購入したり投機にお金を使いました。
そこから転落人生ががはじまっていくのです・・・

相次ぐ子どもの死、そして愛する妻の死。
1635年から1642年のころのことでした。

それで気持ちが転がり落ちていったのでしょうか。
浪費癖がひどくなったり、愛人をつくったり・・・世間からの評判もガタ落ちしていきました。
お金も底を尽きたレンブラント。
財産も競売にかけられて失いました。

それでも晩年まで、画家としての活動はなんとか続けて行くことができました。
人に雇われるという形でしたが、絵画制作を続けていきました。

1669年に亡くなるまで、最後まで絵画制作を続けたレンブラント。
愛する妻を失ったときから始まった転落人生。

妻を愛することで心の安定が保てていたのでしょうし、
何より妻サスキアを愛していたのでしょうね。

反対に妻サスキアもレンブラントを愛していました。
亡くなる前に遺言を残しています。
お金持ちの家庭に育ったサスキア。その財産は自分が亡くなったあとには、唯一残った一人息子(4人産んだ中1人だけ育った)とレンブラントで半分ずつするようにと。
しかしこれには条件があって、もしレンブラントが再婚したら、その財産はその時点で手放さなければならないと。
その為に、サスキアの死後に愛人を作ったレンブラントでしたが、結婚は出来ませんでした。

一度は妻のおかげで人生が絶頂を迎えたレンブラント。
しかし、子どもの死、妻の死を経て人生が転落していきました。
妻サスキアは幸運の女神だったのではないか、と思う程、結婚していた時代の人生は輝いていました。

画家としてのレンブラントは、晩年にも素晴らしい作品を残しています。
財産を失い、愛する人を失った後に、全てを失ったところから作り出す作品は
どこか新しく、全てから解き放たれたところから生まれてきた物だったのでしょうか。

画家としての人生は成功だと思います。
若くから名声がとどろき、成功していたレンブラント。
ただ、浪費癖は悪かった。調子に乗っていた時期が悪かった。

転落していった人生だとしても、晩年まで絵画制作を精力的に行ったのは
やはりプロの画家だなと思います。

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