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ユトリロの「白の時代」と「色彩の時代」
絵画ファンの皆さま、こんにちは!!

今日は「モーリス・ユトリロ」について書いてみたいと思います。

ユトリロと言えば「白の時代という言葉が出てきます。
白の時代とは、ユトリロが作品の中に白色を多用していた時期の事です。
ユトリロ モンマルトルのミミパンソンの家
ユトリロモンマルトルのミミパンソンの家

ユトリロは、1910年頃から1916年頃まで白色の顔料を多く使って描きました。
漆喰や砂を混ぜて描いていたという情報もあります。

なぜこれほどまでに白色を多用していたかと言うと、
精神的な状態に原因があると言われています。

精神的におかしくなってしまった時期に、精神病院に入院していた時期もありました。
そうした中、異様なまでに白に固執するようになったそうです。
母子家庭に育ったユトリロは、幼い頃一人で漆喰で遊んでいた思い出があるそうです。

母は祖母にユトリロを預けてわりと自由奔放に生活していたそうです。
そんな中寂しさを紛らわすためか一人で遊ぶようになったユトリロ。
その時期を過ぎると10代になりアルコールに依存するようになりました。

精神的にずっと不安定だったユトリロですが、20代になって画家として活躍するようになります。
精神的にはまだずっと安定しないままで、絵画制作を治療の一環としていたユトリロ。
しかし外に出ず、部屋にこもっての制作の中で、精神的におかしくなったりすることもあり、
白色に異様に固執するようになったと言われています。

白の時代は、そういった悲しさがにじみ出た時代だったのかもしれません。

ユトリロ モンマルトルの通り
ユトリロ【モンマルトルの通り】
制作年:1925年

その一方で、1916年以降は色彩の時代と言われ、白以外のカラーも
積極的に使うようになりました。

但し、現在絵画ファンの多くは「やっぱりユトリロと言えば白の時代だ」という人も多いです。
精神的に不安定な状況で一生懸命描かれた作品がユトリロらしい、という事でしょうか。

本記事にあげた2つの画像を見比べてみると、やはり
前者の方が決定的に白が多いなという感じがしますよね。

皆さまはどちらの時代がお好みでしょうか。

☆o。:・;;.。:*・☆o。:・;;.。:*・☆o。:・;;.。:*

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テーマ:絵画・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

ユトリロ










1883年~1955年 
モーリス・ユトリロ (Maurice Utrillo)



<年表>

1883年 12月26日フランス、パリに生まれる。母シュザンヌ・ヴァラドン、祖母と3人暮らし。
1891年 スペインの美術評論化ミゲル・ユトリロが認知し、以降モーリス・ユトリロと名乗るようになる
1896年 母シュザンヌがポール・ムージスと結婚。以降、ユトリロは祖母と二人暮らしとなる
1897年 中学校に入学。この頃から飲酒にはまり、2年後には中学校を中退する
1901年 アルコール依存症により入院。療養のため絵画制作を始める
1903年 パリ郊外のモンマニーに移住
1908年 母シュザンヌが離婚。ユトリロ、祖母とともに住むようになる
1909年 アルコール依存症のため入院(~1916年くらいまで入退院を繰り返す)
1913年  個展を開き、好評を得る
1921年  軽犯罪を犯し、刑務所に拘留される
1928年 レジョン・ドヌール勲章を授与される
1936年  リュシー・ヴァロールと結婚
1937年  パリ郊外に居を構える
1938年  母シュザンヌ死去
1955年 11月5日死去

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1883年12月26日フランス、パリに生まれる。
母、シュザンヌ・ヴァラドンは当時の名だたる画家ルノワール等の描く作品のモデルを務めていた。
母シュザンヌはユトリロが幼いころから非常に忙しく、彼をかまっている暇も無いほどだった。
その為、祖母とユトリロはふたりで暮らしていた。
ユトリロはその寂しさを紛らわせるために若くして酒に溺れるようになる。
17歳の時、アルコール依存症で入院。そこでその対症療法として絵を描くことを薦められ描くようになる。
そこから絵画の才能を発揮するようになるが、アルコールからは離れることが出来ず、お酒代を稼ぐためだけに絵を描くようになった。
ユトリロが25歳頃、母親がユトリロの幼なじみである画家アンドレ・ユッテルと交際を始め、母を信用できなくなったユトリロは再び酒に溺れるようになり、アルコール依存症のため入院生活に戻ってしまう。
この頃からは、精神病院に入退院を繰り返すようになり、それどころか軽犯を犯し、刑務所に入るようになる。
しかし、この時代にユトリロの作品は次第に評価を受けるようになる。
ユトリロは1年間に600枚以上もの作品を描くようになり、独特の白色を用いてモンマルトルの空気を描いたこの頃は、後に「白の時代」と呼ばれるようになった。
ユトリロはこの独特の白色を生み出す為に絵の具に砂や漆喰を混ぜ合わせ、色遣いそして肌触りに拘った。
彼の作品は、庶民的な画廊で細々と売られていた。だが、モンマルトルで生活していた人々に好評ですぐに売り切れたと言われている。
その頃、ユトリロが描く「単なる見慣れた裏通りを描いた絵」は評論家や有名な画商等によっては注目されていなかった。
しかし、第一次世界大戦後、ユトリロの作品価値は高騰していく。
その為、母と義父がユトリロの作品の売買を取り仕切り、ユトリロに作品を描かせる為に部屋に閉じ込めたりもした。
そして1935年、51歳の時、妻リュシー・ヴァロールと結婚し、酒に溺れるようなことはなくなったが、この頃ユトリロは、白の時代に描いた作品を描けと言われたり、様々な注文を受け絵画制作を強要されるようになる。
ユトリロは結局、生涯にわたり故郷モンマルトルで、この街を描き続けたが、強要されるようになってからは、「白の時代」のような作品は描けなくなった。
1955年11月5日死去。

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<作品一覧>

パリのサン・ジェルヴェ教会
ミュラー通り
ラ・フェール風景
ルピック通り
郊外の通り
ラパン・アジル