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黒田清輝の「遺言」・・・特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」が間もなく開催!!(2)
昨日からお届けしています「黒田清輝展」特集。
生誕150周年を迎えるにあたって、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」が間もなく開催されます。
そこで、今日は黒田清輝の「遺言」に迫りたいと思います。

黒田清輝という画家はどのような性格だったのでしょうか。
また黒田清輝を語る上で、「遺言」も忘れてはいけません。

代表作「湖畔」などが所蔵されている「東京文化財研究所」は、黒田清輝の遺言で作られました。
美術を研究する機関を設立する事を遺言で残した黒田清輝
自身の不動産の3分の1を美術事業に寄付するように言ったのです。
この遺言により、帝国美術院附属美術研究所という現在の東京文化財研究所の母体になった機関が設立されました。

私も知らなかったのですが、日本の美術館の歴史はとっても浅いんです。
1926年5月に東京府美術館が上野公園に出来ました。これが日本初の美術館だそうです。
それまでは博物館のみだったそう。大正15年の事だそうです。

そんなに歴史が浅いんだ、とびっくりしました。
芸術分野に重点がおかれていなかった事がよーく分かります。

実は明治40年頃には、国家予算に美術館建設に充てる予算や芸術分野に
充てる予算を組むように議題に上がりましたが、
却下されたりが続き、結局予算に組み込まれる事がなかったそうです。
そういうわけで美術館建設計画も頓挫していました。

そこが気がかりだったのでしょうね。
黒田清輝が亡くなったのが、1924年(大正13年)のこと。
遺言として自身の不動産の3分の1を美術分野に充てる事を残しました。
そして死後2年が経った頃、1926年5月に東京府美術館が上野公園に出来ました。

黒田は晩年、日本政府がもっと芸術分野に力を入れる事を唱えてきました。
そして自身も帝室技芸員(皇室の保護と国家的な名誉を受けた美術家)に選ばれ、活動してきました。
しかし生きている間には、美術館も出来ませんでしたし、芸術分野に政府がそこまで力を入れる事もありませんでした。
芸術の重要性が伝わらなかったのでしょう。

日本には美術館もない、芸術が浸透していないため裸体を書く事もダメ。芸術分野の国際交流もない
パリで生活してきた黒田清輝にとって、日本の芸術分野の遅れは改善すべき点が多すぎたのでしょう。

日本の芸術界を変えたい!
その想いがこの遺言に繋がりました。

パリへの約10年間の留学については昨日の記事で説明しましたね。
帰国後、日本の西洋絵画界への尽力は大きく、力を注いで牽引してきました。
しかしながら国を大きく動かすのは大変な事。

黒田清輝の死後、美術館が出来たり、芸術への関心が高まったり、
そして黒田清輝が生きている当時はタブーとされていた裸体を描く事への許容など
大きく様変わりしました。

遺言に残した、遺産の3分の1を芸術分野へという想いが
報われた気がしますね。


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特別展特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」

公式サイト http://www.seiki150.jp
会期:2016年3月23日(水)から5月15日(日)まで
会場:東京国立博物館 平成館
作品リストはこちらから:http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4551
黒田記念館:http://www.tobunken.go.jp/kuroda/
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あなたの手の届くところに、肉筆複製画《アート名画館》

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特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」が間もなく開催!!(1)
みなさまこんにちは!
今日は珍しく日本人画家の特集です。

当店でもやはり?と言いますか、人気がある画家はゴッホ、モネなどの西洋画家です。
しかし、忘れてはいけません。
我らが日本の日本人画家の存在も!

今日の特集は間もなく生誕150周年記念をむかえます「黒田清輝です。
生誕150周年を記念して、特別展が開催されます。

まずは概要から。

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特別展特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」

公式サイト http://www.seiki150.jp
会期:2016年3月23日(水)から5月15日(日)まで
会場:東京国立博物館 平成館
作品リストはこちらから:http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4551
黒田記念館:http://www.tobunken.go.jp/kuroda/
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黒田清輝 湖畔 アート名画館

黒田清輝湖畔
所蔵:東京国立博物館


何から説明して良いのか分からない程、語る事があります。
まずは簡単に黒田清輝の画家人生について説明してみますね。

ーーーーーーー

1866(慶応2)年6月29日、鹿児島市に生まれた黒田清輝。
5歳まで鹿児島で生まれ育ちました。
その後は実父の兄に養子としてもらわれ、それを期に東京での生活が始まりました。
黒田清輝の実父の兄、養父である清綱はとてもやり手。
島津藩士からの元老院議官などの位のある役職を歴任しました。
そんな家庭に育てられた黒田清輝。裕福であったため、何不自由なく勉強に力を注げました。

17歳になった時、東京外大に入学。最初は英語、のちにフランス語を専攻しました。
フランス語を学んでいた黒田清輝は法律を学びにフランスに留学する事を決意。
いざフランスへ行くと、法律ではなく絵画の道に進む事に転向しました。
フランスで法律を学ぼうとして留学したのに、現地で画家の道に転向したのはおもしろいですよね
フランスでは画家ラファエル・コランに師事していました。
しかもこの師事は、元々通訳としてラファエル・コランに付いていただけで、画風が気に入ってなどではないそうです・・・
これまたおもしろいですよね。

それから9年ちょっとフランス在住。絵画を学んだあと帰国。
日本帰国後は日本の芸術界を発展するべく尽力しました。

天真道場という画塾の運営をし、そこで画家を育てていきました。
また1896年東京美術学校に西洋画科が創設されたときには、その指導者として活躍しました。

また洋画団体「白馬会」を発足させました。
白馬会において、画家の育成や、外光派を周知させる事につとめました。

日本の西洋画界においてトップとして牽引し続けてきた黒田清輝は、1898年東京美術学校教授に就任しました。
その頃に白馬会の美術展に「裸婦像」を出展したことから議論をよぶことになりました。
まだまだ日本では裸体を描くことはタブーとされていた時代。
それを芸術だと押し通した黒田。
対立は続きました。
結局、裸婦を描いた作品「裸体婦人像」の腰から下半分が布でまかれるという奇妙な形での展示となりました。

やはり西洋画界では日本でトップに君臨していた黒田清輝。
帝室技芸員という、皇室の保護と国家的な名誉を受けた美術家に選ばれ、さらに帝国美術院院長などを名誉ある役職を歴任しました。
1917年には養父である清綱が亡くなった事により子爵を襲爵しました。
さらに第5回貴族院子爵議員互選選挙にて当選し、貴族院議員としても活躍しました。

日本西洋画家界を牽引し続けた黒田清輝。さらに議員としても活躍。
上に上り詰めるだけ上りましたね。

それでも叶わなかった夢があります。
それは、日本において芸術の地位をもっと高めるということ。
西洋とちがって、日本は芸術における認識が当時低かったのです。(今もなおですが・・)

西洋では身近に美術館があったり、芸術がとても身近に存在していて誰もが触れられるもの。
しかし西洋画というのは当時の日本において、重用視されていませんでした。

当然、美術館もなく、芸術鑑賞をするような余裕もありませんでした。
だから黒田清輝は美術館の設立や国家予算の芸術分野に対する補填を手厚くするように働きかけましたが、それも叶わず。
そのまま黒田清輝は人生を終えてしまいました。

遺言として、残したのがこれ。
「遺産の不動産の3分の1を芸術界に充てる」というもの。
この遺言をもとに、今日まで残る「東京文化財研究所」が設立されたのです。






簡単に説明するつもりが長くなってしまいました!!すみません〜泣
という事で、今日はここまで。
明日はその遺言についてももう少し詳しく説明していきますね!!

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