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レンブラントの愛した妻サスキアは幸運の女神だった
こんにちは!!

昨日はルーベンスの夫婦愛についての特集記事を書きました。
今日は、ルーベンスに引き続き、同じバロック期の画家「レンブラント」に迫ってみたいと思います!

レンブラントといえば「光と陰」!!
作品の中に光と陰のコントラストの表現を上手く取り入れて描いた画家です。
先に作品をひとつ紹介してしまいますと・・・「夜警

夜警 レンブラント アート名画館

レンブラント夜警
制作;1642年
原画サイズ:363 cm × 437 cm
所蔵:アムステルダム国立美術館


この作品をみてください!
真っ黒な世界の中に、中央の人物に当たるスポットライトのような光が浮かび上がります。
これがレンブラントが作り出す”光の魔術”なのです。
光の魔術師、ですよね〜ほんとに。

ーーーーーーーーーーー
レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン
1606年 ネーデルランド(現 オランダ)
バロック期
ーーーーーーーーーー

肖像画を多く描き、若い頃から名声を高めていたレンブラント。
レンブラントの描く肖像画は、描かれている人物にポッとスポットライトが当たっているように見えるのです。
描き方の加減で、このように光を当てられるなんて素晴らしい技術ですよね。

現オランダのネーデルラントに生まれたレンブラント。
勤勉な両親はレンブラントに幼い頃からラテン語を勉強させました。
そして法律家になってほしいという希望のもと、レンブラントを大学へ行かせました。
なんと14歳のときの話です。飛び級で大学へ行く誘いを受けました。

大学に入ったレンブラント少年。しかしながらレンブラント本人は全く法律に興味がなく、
大学を数ヶ月で辞めて、その後画家になる勉強を始めました。
スヴァーネンブルフという歴史画家に弟子入りして絵画を3年間程学びました。
当時18歳だったレンブラント。すでに技術をしっかりと習得し、評判を得ていました。
さらに高みを目指し、当時アムステルダムでとっても有名な画家だったピーテル・ラストマンに師事しました。
19歳の頃にはひとりの画家としてデビューを果たします。
22歳に頃には自身も弟子を持つようにまでなりました。
指導者となったレンブラント。引続き自身の作品制作は続きます。

一度はアムステルダムから地元に戻っていたレンブラント。
1630年、レンブラント24歳の頃。父親が亡くなったことで転機が訪れます。
もう一度アムステルダムに出ることに決めました。

アイレンブルフという画家がアムステルダムに工房を持っていて
そこで肖像画家として働き出します。

1632年に受けた仕事が、レンブラントに大きな転機をもたらしました。
医師が解剖学の講義を行う様子を描くという仕事です。
レンブラントは解剖学の講義風景を描きました。
テュルプ博士の解剖学講義 レンブラント

こうして出来た作品が「テュルプ博士の解剖学講義」です。
これが話題となり、若くして一躍有名画家となりました。

1633年、27歳のとき結婚が訪れます(*≧∪≦)
お相手は当時間借りをしていたアイレンブルフの家の親戚の子サスキア・ファン・アイレンブルフでした。
アイレンブルフ家は裕福だったため、レンブラントはそのおかげで画家としても地位を上げていきました。
同時にレンブラントは資産も手に入れました。

レンブラントは妻サスキアをとても愛しました。
そして彼が描く作品の中にもたくさん描き残しました。

1635年、結婚から2年後には、間借りしていたアイレンブルフの家を出て、自身でアトリエを持つようにまで成功をおさめました。

妻サスキアをモチーフにして描いた作品はこちら↓

フローラに扮したサスキア レンブラント

レンブラント春の女神フローラに扮したサスキア
制作年:1634年
原画サイズ:125×101cm
所蔵:エルミタージュ美術館


レンブラント アルテミシア

レンブラントアルテミシア
制作年:1634年
原画サイズ:142×152cm
所蔵:プラド美術館

酒場のレンブラントとサスキア レンブラント

レンブラント酒場のレンブラントとサスキア


しかしながら、この頃のレンブラントは大きなアトリエを購入したり投機にお金を使いました。
そこから転落人生ががはじまっていくのです・・・

相次ぐ子どもの死、そして愛する妻の死。
1635年から1642年のころのことでした。

それで気持ちが転がり落ちていったのでしょうか。
浪費癖がひどくなったり、愛人をつくったり・・・世間からの評判もガタ落ちしていきました。
お金も底を尽きたレンブラント。
財産も競売にかけられて失いました。

それでも晩年まで、画家としての活動はなんとか続けて行くことができました。
人に雇われるという形でしたが、絵画制作を続けていきました。

1669年に亡くなるまで、最後まで絵画制作を続けたレンブラント。
愛する妻を失ったときから始まった転落人生。

妻を愛することで心の安定が保てていたのでしょうし、
何より妻サスキアを愛していたのでしょうね。

反対に妻サスキアもレンブラントを愛していました。
亡くなる前に遺言を残しています。
お金持ちの家庭に育ったサスキア。その財産は自分が亡くなったあとには、唯一残った一人息子(4人産んだ中1人だけ育った)とレンブラントで半分ずつするようにと。
しかしこれには条件があって、もしレンブラントが再婚したら、その財産はその時点で手放さなければならないと。
その為に、サスキアの死後に愛人を作ったレンブラントでしたが、結婚は出来ませんでした。

一度は妻のおかげで人生が絶頂を迎えたレンブラント。
しかし、子どもの死、妻の死を経て人生が転落していきました。
妻サスキアは幸運の女神だったのではないか、と思う程、結婚していた時代の人生は輝いていました。

画家としてのレンブラントは、晩年にも素晴らしい作品を残しています。
財産を失い、愛する人を失った後に、全てを失ったところから作り出す作品は
どこか新しく、全てから解き放たれたところから生まれてきた物だったのでしょうか。

画家としての人生は成功だと思います。
若くから名声がとどろき、成功していたレンブラント。
ただ、浪費癖は悪かった。調子に乗っていた時期が悪かった。

転落していった人生だとしても、晩年まで絵画制作を精力的に行ったのは
やはりプロの画家だなと思います。

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