カテゴリ

最新記事

プロフィール

アート名画館

Author:アート名画館
絵画ファンのみなさま、ようこそ!
このブログは「有名絵画(アート)の美術館」です!
絵画好きのサワイが旬の絵画情報をお届けします。

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブロとも一覧

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスカウンター

PR







有名絵画(アート)の美術館
ゴッホ、モネ、ルノアール、フェルメール、ダヴィンチ、クリムト、セザンヌ、モディリアーニ・・・等の、誰もが知っている巨匠の有名絵画を画像つきで解説していきます。ブログで楽しむ有名絵画(アート)の美術館。アートを気軽に楽しんでください♪
ゴッホやモネの親友は?・・巨匠たちは誰と仲が良かったのか悪かったのか!
絵画ファンの皆様、こんにちは!!
今日の特集は「画家たちは一体誰と誰が仲良かったのか!?」です。


芸人さんと俳優さんが仲良かったり、大御所の歌手の方と若手の俳優さんが仲良かったり・・・
と、意外な交友関係ってありますよね。
そことそこが繋がっていたのかーー!というのは、実社会でもあります。
会社の人とかね。。。笑

その画家バージョンをお届けしたいと思います。

<<ゴッホとゴーギャン>>

フィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーギャンはともに、後期印象派の画家です。

ゴッホとゴーギャンの出会いは、1886年のパリでのことでした。
ゴッホよりも先にゴッホの弟のテオが画商として働くなかでゴーギャンと顔見知りでした。

ある日、ゴッホは画家村を作りたいと構想をねります。
それに賛同してくれる画家を探して声をかけていましたが、なかなか賛同者が現れませんでした。
そんなときに弟テオがゴーギャンに頼み込みます。
弟テオはゴッホの資金援助もしていましたし、画家としてのゴッホの活動の手助けもしていました。
そしてゴーギャンにお願いして一緒に共同生活をはじめてもらうことになりました。

しかも共同生活はたった2ヶ月で終わってしまいます。
ゴーギャンの申し出によってそれは提案されました。

アブサンというお酒に溺れ、精神的にも不安定だったゴッホ。
そんなときにゴーギャンからの決別宣言。
ゴッホはゴーギャンが一緒に住んでくれることをとーっても楽しみにしていました。

あの有名な「黄色い家」にて共同生活が始まる前に、部屋を彩ろうとひまわりの絵を沢山書いたりして
飾り付けをしてゴーギャンを迎えました。

ゴッホがゴーギャンを想い描いた作品はこちら↓

ゴーギャンの肘掛け椅子 アート名画館 デトロイト美術館 ゴッホ

ゴッホゴーギャンの肘掛け椅子
1888年 原画サイズ(91×72cm) 
所蔵:ゴッホ美術館蔵


そして、ゴッホ自身の椅子はこちら↓
ゴッホの椅子 ゴッホ

ゴッホ【パイプを置いたゴッホの椅子


<<セザンヌとゾラ>>

続いては、ポール・セザンヌとエミール・ゾラ。
二人の関係はとても長く、中学生のときからはじまりました。
セザンヌの方が先輩でした。

セザンヌは裕福で格式の高い家に生まれました。父親は銀行所有というなんというお金持ち!
その父のすすめによりセザンヌは法律家になるように勧められます。
セザンヌは大学に入学して法律の勉強をはじめてみたものの、やはり合いませんでした。
それに法律の勉強よりも芸術への興味の方が強く、大学の片手間でデッサンをしたりと絵画技術に磨きをかけていました。

そんなとき、先にパリへと出ていた親友のゾラとの文通で、パリに出てくることをすすめられます。
セザンヌは何事も中途半端にはしたくない性格。
ですので大学を中退し、絵画の道一本に絞る事にしました。
こうしてパリでのセザンヌの画家修行がはじまります。

思うようにいかず画家としての成功を手に入れる事ができなかったセザンヌ。
一度は諦めかけて故郷に戻り、銀行家として働き始めましたがやはり画家になる夢を諦めるわけにはいきません。
再びパリへ向かいます。

一方のゾラはその頃すでに絵画評論家としてそこそこ有名になっていました。
のちには小説家としても有名になります。
セザンヌが資金的に困った時には援助する事もあったという友情。

が、しかし。。。友情のかたちは変わっていきます・・・
なんとある時期をさかいに二人は絶交してしまいます。
結局仲直りする事なくそのままでした。
気になる原因ですが、いまだに解明されていません。

セザンヌではなくてエドゥアール・マネがゾラを描いた肖像画はこちら!

マネ エミール・ゾラの肖像

マネエミール・ゾラの肖像




<<モネとルノワール>>

カミーユ・モネオーギュスト・ルノワール

ふたりは一緒にデッサンする仲良しコンビ。

「ラ・グルヌイエール」という作品を聞いた事ありますでしょうか。

モネルノワールも同じ構図で描いています。
それもそのはず。
ふたりは並んで描いていたのですから!

ラ・グルヌイエール モネ
モネラ・グルヌイエール
制作年:1869年 
原画サイズ(99.7×74.5㎝)
所蔵:メトロポリタン美術館(ニューヨーク)


ルノワール ラ・グルヌイエール
ルノワールラ・グルヌイエールにて
制作年 1869年
サイズ 66×86cm
所蔵 トックホルム国立美術館

出会いは1862年。シャルル・グレールのアトリエで出会いました。
ともに絵画技術を学んだ仲。
そのとき以降、ルノワールが亡くなるまで交遊は続きました。
本当に仲良しですよね〜

モネが結婚したあともルノワールが、アルジャントゥイユのモネの家に滞在したこともありました。
そういう家族ぐるみの交遊もいいですね!


<<シャニックとスーラ>>

ポール・シャニックとジョルジュ・スーラ
どちらも点描画家として有名です。
ふたりは新印象派として新しい画派を立ち上げました。

二人の出会いは1884年でした。

スーラの方が先に点描という画法に取り組み、それに賛同したのがシャニック。
スーラの突然の死の後、この点描を継承しようと、世に広めたのがシャニックだったのです。
スーラが点描をはじめて、その後シャニックにより世の中に広まった。
まさしく友情によるコンビプレーですね!


<<キスリングとモディリアーニ>>

モイズ・キスリングとアメデオ・モディリアーニ
1914年頃に二人は出会いました。

ポーランド出身のキスリングがパリへ出てきた翌年、モディリアーニも故郷イタリアからパリに出て来て、二人は出会います。

先に有名になったのはキスリング。
資金的にモディリアーニを援助していた時期もありました。

モディリアーニとキスリングは常に一緒にいたわけではなく、
付かず離れずの関係が続きましたが、1920年、モディリアーニが亡くなったときにはキスリングはその死に立ち会いました。
さらにその葬儀の費用までキスリングが負担したそうです。

モイズ・キスリングの肖像 モディリアーニ
モディリアーニ【モイズ・キスリングの肖像


<<ユトリロとモディリアーニ>>

「ラパン・アジル」という酒場をご存知でしょうか。
今で言う居酒屋のような感じです。

ラパン・アジル ユトリロ

ユトリロラパン・アジル
1912年 原画サイズ(61×50cm) 
所蔵:パリ国立美術館

ここでユトリロモディリアーニは出会いました。

モディリアーニよりもひとつ年上だったユトリロ。ユトリロの方が先に有名になりました。
二人の出会いはユトリロ全盛期。

ユトリロは酒場であるラパンアジルに足しげく通い、モディリアーニもまた同じくして通っていました。
そのうちにふたりは意気投合。
ユトリロは年下のモディリアーニの芸術的才能に惹かれたそうでう。

一方でモディリアーニもユトリロのことを天才だと認めていました。

ユトリロの描く白色の世界がすばらしすぎると。
画家としてお互い尊敬し合う仲というのは素晴らしい事ですよね。

時にライバル視してしまうプライド高い画家同士。
しかしともに高め合う仲でいられる親友は素晴らしいと思います。


☆o。:・;;.。:*・☆o。:・;;.。:*・☆o。:・;;.。:*

あなたの手の届くところに、肉筆複製画《アート名画館》

アート名画館 http://meiga.shop-pro.jp/
楽天店 http://www.rakuten.co.jp/art-meigakan/
Yahoo店 http://store.shopping.yahoo.co.jp/art-meigakan/
ポンパレ店 http://store.ponparemall.com/art-meigakan

Facebookページできました! https://www.facebook.com/artmeigakan/

★★・‥…―━━━―…‥
スポンサーサイト

テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://artmeigakan.blog90.fc2.com/tb.php/980-01ee9bf9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)